こんばんは!
「ソレの喪失感」
今日は朝から早起きして昨夜購入した旅のラゴスを途中まで読みました。
スカシウマにミドリウシとはどんな馬や牛なんだろうか?
朝からぼんやりと結構な時間考えてしまいました。
どれくらい時間が経ったのだろうか?気になって携帯で時間を確認しようとしたところ
僕が求めるソレは無意識のうちにあるべき場所の充電器の先から無くなっていました。
僕の家には時計がありません。
なので僕はその時、時間を確認することが不可能になった。
大袈裟かもしれないけれど普段は時間に依存しているような僕は酷く混乱した。
人間は物事を完璧に成し遂げる事に要する時間が短ければ短いほど評価される。
それはなぜ評価されるのか?
生きるということは一生と呼ばれる個人のタイムリミットから常に引き算をすることだからだと思います。
その引き算は寝ている時でも、幸せな時でも決められた速度で行われていきます。
だからその確実に減っていくソレはとても貴重でかけがえのない大切なのモノだと思います。だから物事に要する時間は少なければ少ないほど他の物事に使うことが出来る。
僕にはその時、確認する方法がなかったので正確には分かりませんがソレを30分以上は探した気がします。
洗面台にもトイレにもカバンの中にもなくて、それは偶然手をついた本の下敷きになってました。
その瞬間、僕の「喪失感」は一気に「安堵感」へと移り変わりました。
そして、ソレを確認した僕は何だか自分が思った以上に依存しているような気がして大きな溜息を吐きたい気分になりました。
確かにソレは引き算しか出来なくて確実に減っていくモノかもしれないけれど、0になったからといって辛いことが決めつけられているわけではないと思うのです。(確認のしようもないですし)
ソレが0になったら辛いことが待っているからと思って無理をして、時間に依存して、セカセカと生きるよりは0になっても楽しいことがこの先待っているとマイペースに生きた方がおそらく正しい気がします。
だから偶然にも今日は土曜日でいつもより少ない本数で走っている電車を見て、電車会社もたまには気分でセカセカ電車を走らせずにノンビリとした方が世の中が平和になるような気がしたのです。
何となく南の島のハメハメハ大王を思い出しました。
きっと日本にも大昔はハメハメハ大王の歌のような暮らしがあったんだと思います。
朝日の後で起きてきて、夕日の前に寝てしまう
ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ
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